山椒大夫の幼児教育

8歳の娘:安寿と、7歳の息子:厨子王の育児や教育、受験・進学を通じて感じたことを書きます。

公文式でうまくいかなかった経緯

公文式の幼児教育について書きます。


安寿が3歳半のときに公文の教室を2つ見学に行き、結局、週2回の送迎が大変すぎる(厨子王をその間どうするか??)ということと、幼稚園が終わってから公文が始まるまでに微妙な空き時間があったこと、ここなら任せていいと思えるピンとくる教室がなかった(めちゃくちゃ狭く不潔だったり、わびしい雰囲気だったり、ぼうっとしている子が放置されていたり)ので、家でできる通信式で、国語と算数を始めました。その時点でひらがなは一文字ずつなら読めていた気がします。単語は拾い読み(一文字ずつ、き、り、ん、と読む)で読める時もある。でも文章は全然無理でした。国語7Aから開始。これはプリントの表面に動物のイラストとひらがなで動物の名前が書いてあり、裏にはひらがなのみが書いてあるというものです。算数は一番最初の6Aから。これは動物が1匹とか2匹とか印刷してあり、裏は動物ではなくドットが同じ数印刷してあり、親と一緒に指さしながら「1,2」と数えるものです。

 

国語はひたすらその後ひらがなの読みと親の言うことの復唱のようなことが続きます。

それと並行して、運筆(鉛筆を持ち、自分の思う通りに動かすこと)のための教材を進めます。最初は縦だけ・横だけの線、そこから複雑な形をなぞる、迷路などです。運筆教材が終わったころにひらがなのなぞり書きが始まります。並行して読みが入ります。公文の国語は優れた教材と思います。できることの少ない幼児に、これだけ段階を踏んでやることを提示できる教材は他にはないと思います。Z会、こどもちゃれんじ、ポピー、七田式など幼児向け教材は多数ありますが、いずれも公文ほどの強度で、子供に読み書きを教えようとはしていません。1回目より2回目は、絶対によりできるようになっています。市販の教材は、いきなりひらがなの「あ」(かなり書くのが難しい字です)から書かせるだけだったりします。今後どうなるか分かりませんが続けて行こうと思います。ただ、常にやめ時を推し量っている感じがあります。

 

問題は算数です。10まで、20まで、30まで、50までの数と進んでいきますが、子供にとっては10や20を超える数を扱うというのは本当に難しいというか、何のことか全くわからせられないということが分かりました。数が何を意味するのか、全く分かっていないのです。


10台・20台は何とかなっても、さらに大きい数になるともうお手上げです。大人からすれば、20だろうが80だろうが同じだろうと思いますが、大きい数になるともう頭が飛んでしまうようでした。ごまかしごまかし、時には同じ教材を5回以上繰り返しても、4A教材の最後のほうが乗り越えられませんでした。4Aから3Aに上がるためにはテストがあるのですが、どうしてもそのテストにたどり着けませんでした。


通信式の公文は、東京?の本部に事務所があり、生徒一人に担当の本部スタッフと、採点スタッフが付くようです。採点スタッフとは、プリントと一緒に送った連絡帳だけでのふれあいなので、連絡帳に質問を書いても帰ってくるのは半月以上先になり、即応性がないので、本部スタッフに電話かメールで聞くことになります。何度も何度も、上記について相談しました。私は、こんなことも分からないのかと、そのたびに怒鳴り、絶望し、お願いだから分かってと懇願し、かわいそうなことをしてしまいました。分からないものは分からないのです。この子には向いていないということです。苦労するのであればもう他の方法を採るべきなのです。


本部は、いろいろ親切に対応してくれ、そのヘルプによって、いくつか小さい山を乗り越えることはできましたが、突き詰めると公文のポリシーである「楽にできるところまで戻って、何度でも繰り返せ」という返答になります。そのうち、数の何たるかは分かってくると。だから毎日100までの数唱や逆唱を繰り返せと。


安寿は嫌がっていやがって、1枚10分以上かかり、1日1時間以上粘ってもどうにもなりませんでした。ご褒美のことしか考えていない、私がいつ怒り出すかという状態でした。いくら教えても、繰り返しても、ほら穴に怒鳴っているというか、ミミズに教えているようで、どうにもなりませんでした。


公文では、120までの数をすらすら数唱し、穴埋め問題(1,2,3,4、?、6で?を埋める)に答えられるようにならないと、足し算に進めません。足し算も、少なくとも最初は暗記のようです。
もうこれは無理だと思いました。何度も本部に泣きながら電話し、「これ以上は無理なので教室に行って先生に対応してもらっては」と言われ、送迎もやむなしと思ってある教室に行ってみましたが、安寿は緊張したときに出るチックのような症状ばかりで萎縮しきっており、Pグマの門を叩いたのでした。

 

ただ、公文で手に入れた、ひらがなを一通り読む力や、運筆能力、数字が10まで書ける能力だけでも、かなり世界が広がりました。勉強の導入としては優れていたと思います。

 

とにかく量で押せという公文のやり方を見ていると、「これぐらいたくさんやらないとできるようにならないのだ」という恐怖感が親に植え付けられます。となると、他の教育法はすべて、「こんな量でできるようになるわけがない」という印象を与えます。素直にやる子はいいでしょうし、公文式のサポート媒体には頻繁に、「私はこうやってスランプを乗り越えた」といったトピックを出していますが、何とかそこまで頑張らせなくてもできるようにならないものか??と思ってしまいます。